バイク命”呆れたおやぢのブログ

気が向いた時しか更新できませんが宜しくお願い致します 尚、帰宅が遅くなる為返コメが滞る事が多々有ります事をお許し下さい。

2006年08月

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工藤靖之選手と言えば・・ウィリーの世界記録保持者で有名・・マシンはHONDA TLM250
1980年代は彼はYAMAHAの所属ライダーでした・・あの華奢(失礼”)の体で操るマシン裁きは目を見張るものがありました・・群馬のシップで工藤選手を応援してた事が有りまして、彼も群馬には足繁く通ったのです。
高山村のコースにはあの『小林一徳選手(当時はジュニア)』を引き連れて来てました・・・
大概、土曜の夕方に来て・・地元の旅館で一泊と言ったパターンで我々も呼ばれて・・彼らと宴を共にしたのでした・・工藤選手も呑むと・・かなり陽気になります・・中華料理の器に付いてくる蓮華をマイク代わりにしては・・美声を披露してました・・
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画像は1986年頃・・徳島の吉野川、河川敷で行われた全日本選手権です。
現在は地元(九州)でショップ『キックスタート』を経営してるとか・・

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今日日・・高校生って・・バイクに興味を持ってる人間って・・果たしてどれくらいなのか・・?
あの、馬鹿げた3無い運動が定着してから、何年が経つのか解りませんが・・
兎にも角にも・・今の高校生や中学生がバイクに興味を持つ機会が薄れているのでは?と危惧する・・
そりゃ~・・無謀な運転での痛ましい事故や、近所の迷惑も否めないのも実情だ・・
だが・・日本の法律では16歳からバイクの免許が取れるのは、紛れも無い事実なのだ!
危ないから乗るなと言うのは、甚だナンセンスで、危ないと言うなら、何故・・安全運転の講習やら
マインドをコントロール出来るような教育が有って然るべきである!←今夜は妬けにテンションが高い(笑)

家の倅も然りだ・・バイクには全く興味が無いのだ・・情けなやぁ~~~
心は2輪よりは4輪・・毎週末の『激走GT』は、欠かさず見ている様だ・・
そんでもって・・来る9月9日はツインリンクでhttp://www.twinring.jp/gt/が開催される・・
倅の、断っての断っての希望で・・急遽10日の早朝に出かける事になりました^^
チケットも最早GETしております。画像は・・お台場『メガウェーブ』に展示されていたGTカー
去年のマシンかと?立川選手・・今年はどうなる??・・

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最近の傾向として、日曜日には家の周りの草削り、又は実家のくねの伐採だ・・
此の時期・・2ヶ月も放っておくと・・伸び放題である・・

今日は余り・・W君に乗る気ぢゃ無かったのですが・・
先のにアップした通りクラッチが張り付いてしまう症状が出ているのでした・・
エンジンを掛けて発車するまで30分は優に掛かります・・それはE/Gを温めたり、ギヤーを馴染ましたり・・
しかし・・掛かりつけのドクターチタ氏のアドヴァイスで、その懸案は解決したのだ!
やり方は簡単・・先ず・・キーS/Wは入れずに、ギヤーをローに入れる・・クラッチを握って
Rブレーキを踏みながら、キックを踏む”踏む”最後にはカス”って言った感じになる・・感覚が解らなかった!
汗だく(゚Д゚; で・・キックを踏む事・・50回は踏んだだろうか・・いきなり・・キックカが軽くなった
キタ━━━━\(゚∀゚(゚∀゚(゚∀゚)゚∀゚)゚∀゚)/━━━━!!!!
チタさんを信じてよかった!!その後はスムースに・・

W1Sとの出会いは・・25年位前になるかな・・
ディーラー勤めだった時・・出入りの業者の庭の隅にポツンと置かれたW1Sは、雨曝しで悲惨な状態であった
よし!何時かは手に入れて、こつこつとレストアしよう・・と・・目論んで居たのだった・・
が・・数日後、その業者に行って見ると・・W1Sの姿は無い・・
一体・・誰が?・・数日後・・先輩が鼻歌交じりで・・あのW1Sは俺が引き取ったから・・
なんと・・無残な・・意気消沈している私に・・先輩が輪を掛けて・・こう言う・・
部品を数点用意してレストアの準備を始めたんだ””はいはい^^そうですか・・
そりゃ^良ぉ~ござんした^^その部品は多岐に渡った・・コイルにバルブ、クラッチにガスケットKITetc
転機が現れたのは、その数年後だった・・先輩がサービスから営業に抜擢されたのだ・・
ををっ!これはチャンスかぁ?案の定・・先輩から譲っても良いよ・・それも集めた部品は全て付けてくれる
格安で譲って貰ったW1S・・これからが大変・・当時は現役メカニックだったので・・苦も無く
上部をO/Hしたり、バルヴの交換やら、摺り合わせ等したのでした・・

それから、約25年間・・放ったらかしになって居ました・・
乗る気になった原因は、何を隠そう・・ブログなのです・・

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テレビは余り見ない方ですが24時間テレビは、ついつい見てしまいます・・アンガールズ大丈夫かな~とか・・
昨夜は二本指の女の子が、平原綾香のジュピター♪を演奏したのには・・涙を禁じ得なかった・・

それは置いといて・・(笑)

忠さん、ヤジ金、英明、吉村太一・・等と言う名前で・・ををっ”と反応する方は往年のファンだだと思う。
本日は、鈴木忠雄氏にスポットを当ててみます・・
SP忠雄http://www.sptadao.co.jp/のオーナー・・鈴木忠雄氏ニックネーム『忠(チュー)サン』が60年代のモトクロス
を席巻してたのは前述した通りだ・・
ヘルメットの目の玉のトレードマークはこの頃・・いや、もう少し前から付けてたのかもしれない・・
当時は、モトクロス界のアイドル・・旋盤も使いこなす。

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曇っているせいか、初秋なのか?今朝は幾分涼しい散歩だった・・
田んぼの稲も早くも穂を付けています。作柄も良好なのかな・・目を凝らして見ると
稲の花も見えました・・曇ってなかったら、眩しいくらいの緑が疲れた目を癒してくれるのに・・

1971年のMC誌の中からこんな記事を発見”
かつて日産のワークスドライバーとして巧みにGTRやら240Zを操る長谷見選手・・
彼は、あの『ヤジ金』や『久保和夫』で有名な城北ライダース所属ライダーとしてスズキS10
プライベートとしてCR110やグリーブスを駆って、モトクロス、ロードレースにと活躍していた。
そんな彼が当時個人的に購入したはTM400・・400にした理由”125や250では物足りないし、
400なら中々乗りこなせない!そこが魅力・・完全仕様のモトクロッサー・・これは僕の夢だった
昔はこんなマシンは無いし、レースに出ようと思ったら、市販車を色々といじらなければならない。
それと、勝つのは工場マシンと決まっていた。

早い人は何を乗らしても早い!と・・聴いたことが有りますが・・正にその通り・・
とは言っても、人並み以上の努力と向上心と言う裏付けが有っての事だと思いました。

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