バイク命”呆れたおやぢのブログ

気が向いた時しか更新できませんが宜しくお願い致します 尚、帰宅が遅くなる為返コメが滞る事が多々有ります事をお許し下さい。

2006年06月

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むかぁ~し、むかし・・・『くろがね』と言うメーカーが有ったそうじゃ・・
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その車・・大層スバルのサンバーに似ている様な・・
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浅間記念館にも、くろがねのE/Gが展示されいたそうじゃ・・

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昨日の晴天とは、うって変わって・・今朝はどんよりと雲が・・何て言ったって梅雨ですから・・
お蔭様で昨日の消毒作戦が功を奏し、蚊の攻撃も、大分和らいでいます^^
自宅の藤の木には、大小の虫が・・消毒後1時間位で彼奴等はバタバタと落ちて来ます・・
最初は10匹位落ちて居たのに・・5~6分でその姿は無くなります・・そうなのです・・
鳥が虫を銜えて持って行ってしまうのです・・自然の摂理とでも言うのでしょうか・・

えぇ~本日より”休日恒例の大昔のバイクにスポットを当てて見る企画を実施いたします。
大昔・・・私にとっての大昔は・・自分が未だ生まれる前、生まれてから数年過ぎた辺り・・
1950年代後半から1960年代前半に絞って、雑誌広告を交えてお送りします。

記念すべき第一回目は、新明和興業の『ポインター号』であります。

昭和28年から日本のオートバイ業界はメーカー乱立の時代に入りました。
次々に新しいメーカーが名乗りを上げて、その数は最盛期には150社を超えたと言われています。

その背景には生き残りを懸けた壮絶な生存競争があったことは言うまでもありません・・

1953年に発売したポインターエース4(250cc)が大ヒット。
名古屋近郊ではポインターがバイクの代名詞として呼ばれた1963年に撤退。

この多数のメーカーが乱立していた時代は、そんなに長続きせず、
国内の4輪車の発展に伴い、競争力の無い製品しか送り出せない小さなメーカーは衰退し、
1960年代に入る頃には、今のホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4メーカーに絞られつつ有ります。

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幾ら仕事が忙しくても・・・今日と言う今日は休みますっ”
先月のGW明けから、土曜日は全て出勤になって居ました・・おまけに週末には雨に祟られて・・
そうなのです”家の周りやら、畑の草が凄い事になっているのです・・
凄い事になって居るのは草だけでなく、垣根やら、樹木に毛虫がワンサカ(゚Д゚; 
個人的に、虫系に弱いと言うか・・あのお姿がダメなのですね・・殺生とは思いますが・・
近所迷惑にもなりますし・・今日の天気はどうなのか・・解りませんが・・消毒は強行突破です。
消毒は殺虫剤を使い、動力噴霧器で勢い良くやるのですが・・先端のノズルが逝っちゃてまして・・
購入元の○セキには部品のストックは無いとの事・・まぁ~騙し騙し使うのですが・・

世界選手権の動画を配信していますが、先週の日曜日・・ちと・・やらかしてしまい・・
今現在、動画のアップは出来ない状態に陥っていまして・・・復旧作業も滞っています・・
暫くの間・・動画はお休みします・・

画像は、記念館に有った白バイですが・・そんなに古くは有りません・・
やや小ぶりで、600cc位なのかなぁ?これなら都内やら住宅密集地等で活躍する・・・
あれぇ~”それにしても小さ過ぎる・・説明書きを見てビックリ!
この白バイ・・NSR50なのです”神奈川県警がイベント用に本物の部品をあれこれ付けたのだとか・・
どうりで・・・しかし・・こんな小回りの利きそうな白バイも有って良い様なものだが・・

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あの、星野一義選手がMXに乗って居た頃の貴重な画像だと思い
ます。

マシンはKWASAKI、F21M・・市販MXの草分け的存在でです・・

当時の星野一義は、とても貴重だと思います・・
1969年、CB750『K0』が日の目を見た年・・・

国内モトクロスは戦国時代だったと言っても過言では無いでしょう・・

SUZUKIのワークス軍団率いる、吉村太一、上野広一、矢島金次郎

YAMAHA率いる鈴木忠男、加藤清丸・・
KWASAKIワークスは、山本隆、星野一義・・

当時、HONDAは2サイクルのMX車が無かったので、CL250を改造
したりして・・泣かず飛ばずの時代だった・・

嗚呼”ニッポン頑張れ!!

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